アウシュビッツに行ってきた◎考えることが多すぎる
[旅日記]
3/14
聖マリア教会の中に入ってきました~
す、すごい、、、豪華絢爛✨✨
ずっと見てたかったけど、次の予定が……
で、行ってきました『オシフィエンチム』。
きっと、ほとんどの人が初めて聞いたんじゃないかな。この名前。
でも、日本人もほとんどが知ってる場所。
『アウシュビッツ』
現地の言葉では『Oświęcim(オシフィエンチム)』って言うらしい。
ドイツ人が「発音しづらいから」とアウシュビッツって呼んだんだとか。
アウシュビッツに入るには公式のガイド同伴が義務。
私は今回、公式ガイド唯一の日本人、中谷さんにガイドしてもらう事ができました✌️
ポーランド入り前日に、ガイド同伴じゃないとダメだと知り、
慌てて中谷さんに直接メールを入れて
何とかツアーに参加できました、、、🙄
本当は3/14はワルシャワ観光の予定だったんだけど
せっかくだからと急遽予定を変更して参加させて頂きました。
国の厳しい試験に合格してガイドになった中谷さん。
韓国や中国を始め、他のアジアのガイドはいなくて、日本人の中谷さんだけ。
結論から言うと、中谷さんのに参加して本当に良かった…
英語だったら、岩塩坑さえ無理だったから
きっと何言ってるかさっぱりだった。笑
アウシュビッツに関しては、せっかくだから
ちゃんと理解して帰った方が良いと思う。
私は歴史に関しては、中学生で習ったのが最後。
高校は理系で、地理を選択しなくちゃいけなかったから
昔に「アンネの日記」を読んだくらいで、ほとんど無知の状態😫
今日は土曜日。
休日を大事にするヨーロッパの人たちは来ないからか、かなり空いてた~🙆
学生も来ないしね🙆
まず第一強制収容所。
入って目につくのが、電圧400ボルトの電流柵。
そして「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になれる)」の文字。
これ有名みたいねぇ。恥ずかしながら私は知らなかった。
まぁ、自由になった人はいなかったのだろうけど。
連行されてきたのは、ほとんどがユダヤ人だったけど、
他にもソ連の捕虜やジプシー(ロマ・シンティ)、聖職者、
そして同性愛者や精神障害者、身体障害者まで。
胸にマークを付けて
どんな理由で連れてこられたか分けたらしい。
それによってグループを作り、グループ意識を持たせ
お互いを見張り合い、ユダヤ人同士で暴力を振り合うことも。
写真の白いのが収容された人たち。
真ん中で指示を出してるのも、実は収容されてる人。
(ちょっと見にくいか…)
監視役を同じ収容された人から作ることで、
脱走する人が減ったらしい。
監視役(ユダヤ人等)に力を与える。
暴力はユダヤ人どうしで振るうようになる。
するとどうなるか。
ナチス親衛隊の人間は暴力を振るうことは無くなったんだよね。
親衛隊の人間は良き父親でいることができたという訳。
生き残ったユダヤ人がなかなか当時の事を
話したがらないのも分かる気がする。
仲間側の悪い面も喋ることにもなるから。
ご飯も監視役に配らせたから、その手下たちが多く食べられる。
写真見ても、太ってる人とガリガリに痩せた人
両方写ってるんだよね~…
しかも、キツい仕事にはナチスに反対した政治犯というか、
そういう それまで身分が高かった人が当たったっていうから立場逆転。
そういうのも上手く出来てる。
驚いたのが、
連れてこられたユダヤ人の70,80%は収容すらされなかったと。
あまりにも人数が多すぎて、収容するスペースが足りないから。
どうするのかと言うと、そのままガス室行き。
殺される。
写真わかるかなぁ。
男女別に並ばせて、医者が顔を見て労働できそうか選別。
先頭のお年寄りは写真奥に案内されてる。
そう、奥にある列はガス室行きの列。
年寄りだったり、弱そうな人はガス室。
これが1番衝撃だったのだけど、
・ガス室に連行するのも
・そこに毒(チクロンビー:殺虫剤)を入れるのも
・死体を運び出すのも
・それを焼却するのも
ユダヤ人始め収容された人の仕事。
だからガス室へ連れていく人たちは
不安にさせないために「今からシャワーを浴びるんだ」
なんて言ってガス室へ連れていったのだとか。
そうする事でナチス側の人たちの精神的負担も無くなる。
暴力も振るうことがないし
悪いことをしてる、なんて感情も生まれないんだろうなぁ。
チクロンビーの缶。
これで150人殺せるらしい。
ここで、何でユダヤ人がこんな目に合うことになったのか。
ユダヤ人に対する差別は昨今急に始まった訳ではなく
イエス・キリスト死後までさかのぼる。
(長くなるので割愛)
その後、国を追い出されてヨーロッパ各地に流れ込んで
身分制で下になった頃から徐々に始まっていったと。
これって、いま問題になってる難民問題、シリアの問題なんかと通じるところがある気がする。
国を追い出されて、他国に流れ込む難民たち。
そして、一部では難民がいるから治安が悪くなる
なんて言い出す人もいて。
過去から学ばないと、歴史は繰り返す。
そんな所から人々の心の奥にあった差別というか、そういう気持ちが
あるきっかけで蓋が開いてしまうと溢れてしまう。
『人の心にある、そういう物を箱で例えましょう。
そういうものを完全に無くすというのは、現実難しい事だと思うんですよね。
ただ、蓋が開かないようにする。その箱を小さくする為にも
ヨーロッパの学生たちは教育の一貫でここを訪れるんです』
って中谷さんが仰っていたのが印象に残ってる。
歴史を学ぶって大事だよなぁ。
死の壁。
見せしめの殺人が行われていた場所。
左にドイツ国旗のやつがある。
ドイツ人も来るって事だよね。
日本人が広島長崎にいくのとは、また訳が違う。
終戦後、この施設の所長が処刑された場所。
ただ、罪を裁かれたのは数パーセントだとか。
裁くに裁けないという問題があると。
ある人は「上の命令でやった」と。
その上の人も「上の命令でやった」。
さらに上の人は「国に命令されてやった」。
その国の人たちは「国民が選んだ人が作った法律でやったんだ」と。
連れてこられた人たちの持ちもの
今もお馴染み、ニベアクリームだ🙄
なんか昔の話じゃないんだなぁって実感。
トイレ休憩をはさんで
次は第二強制収容所(ビルケナウ)へ。
収容者増大のために、作られた場所。
この、敷地内まで延びる鉄道線は有名。
この列車に隙間がないほど詰め込まれ
何日もかけて運ばれて来た人たち。
分かりにくいけど、白いバラが供えられてる。
白いバラはドイツにおける反ナチスの象徴。
追悼の意味もあって置いていくのだとか。
日本で言う千羽鶴みたいな。
中谷さんが
ドイツ語ガイドがいちばん大変なんですよ。
隅から隅まで話さないといけないから。
なんて仰っていて。
この奥に見える白い建物。
収容所の補修作業?的なことをしてるんだけど
ドイツはこの多額のお金を寄付しているらしい。
それもすごいよね。
過去の過ちを認めて、しかも後世に残してくださいとお金まで出す。
ガス室。
こっちはその隣の焼却するとこ。
壊れてるのは、ナチス撤退時に都合が悪いと壊したから。
でも、戦争に負けると分かってから、
それどころじゃなく、指示があいまいになって壊しきれず残ってる。
半壊してるけど、こうやって見られるってのは貴重だよねぇ。
ここで多くのユダヤ人が殺されて。
しかもそれをするのは同じくユダヤ人。
胸が痛い。
遺体は、焼く前に髪を切り取らせ(勿論ユダヤ人に)、それを絨毯や鞄にした。
それも使いきれずに、ここに残ってる。
山のような量だった。
写真はさすがに撮れなかったから是非実際に見てほしい。
胸がぎゅーーって締め付けられる。
ヒトラーを指示したのは少数だった。
ヒトラーの党派の議席は33パーセント。
連立政権でヒトラーの国ができたと。
民主主義から独裁政治が始まった。
いま、日本でも海外から多くの外国人がやってきてて。
でも、これって昔のヨーロッパと同じ状況。
頭の良いユダヤ人が入ってきて。
仕事をユダヤ人に取られる。
そして元々その国に住んできた人たちが不満を覚えて
その矛先がユダヤ人に向けられる。
その将来に対する心構えが日本人に出来ているか。
ナチスまでは行かないにしても、
歴史を知らないとまた繰り返す。
そして、伝えていく人がいないといけない。
それは広島長崎にも言えること。
広島長崎の場合は、アウシュビッツと違って国が運営してる訳じゃないから、同じようにとはいかないと思うけれど、少なからずアウシュビッツのようにガイド…伝える人を育てなければいけないと思うし、それにはボランティアなんかだけでは限界があると思う。それなりにお金も頂けるから、私はこれを仕事に出来ている。
そんな中谷さんの話も印象に残りました。
なんか、考えること感じることが多すぎて
頭がパンクしそう。
私もまだ考えが整理できてない。
日本に帰って、
中谷さんが話してくれた事のメモを見返して、
自分なりにも調べてみて、
中谷さんがオススメしてくれた本も読んでみて、
整理できたら良いなぁ😶
充電が少なくなってきたからここで終わりにすとして。
文がごちゃごちゃしてるけど、更新~。
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